カンボジアリバーサイド応援隊 2

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変遷



私は、日本では普通に暮らして来たと思います。

結婚をして、子供をもうけて、自宅を建てました。

しかし、50歳手前で離婚してから、ちょっと様子が変わって来ましたね。


離婚して、神戸から宝塚に引越しをしました。

宝塚に行ってから、フィリピンに行く事になる会社に勤めますが、女性との縁は無かったですね。

毎日、家と会社の往復でした。

お酒も飲めませんので、おとなしく暮らしてました。


しかし、ひょんなことからフィリピンに赴任する事になりました。ここから、私の人生は大きく変遷して行きます。マニラに3ヶ月滞在して、その後、隣のパシッグ市に引越しました。


滞在中は、マニラの日本人向けのKTBに良く通いました。お気に入りの女性から、お母さんが病気なの!

と言われて、何か助けたい気持ちになりました。

しかし、「お母さん病気」は、援助を得る為の常套手段と言うのは、後に分かります。


マニラのKTBの女性と、そう言う関係になる事は無かったです。まだ、経験不足のヨチヨチ歩きの状態です。また、マニラでは知り合いのフィリピン人の家に間借りでしたからね。

店で女性を触る事も無かったですね。まるっきり、初心者です。カラオケを一所懸命に歌ってました。


私が夜の女性に目覚めて行ったのは、隣のパシッグ市に引越して、1軒屋を借りてからです。

パシッグでは、日本人のパートナーと一緒に働きました。日本人のパートナーの部下にJ君と言うフィリピン人が働いてました。35歳位だったでしようか。


彼は、結婚してましたが車を持っております。

彼とはウマが合い、毎晩の様に遊びに出かけました。パシッグ市には、日本人向けの店なんか有りません。全てローカルです。

フィリピン人J君と一緒ですので、ローカルでも全然問題有りません。ローカルの特徴は、店は汚いですが、料金が安いと言う事でしょうか。


J君との遊ぶお金は、全て私が払いました。

彼が女性を買うお金も私が払いました。

J君は、結婚してましたので、余裕は無かったですね。しかし、そんなお金より、彼が私にフィリピンのローカルを教えてくれた方が人生勉強になりました。


ローカルには、Vip Room が有ります。

これは女性といたす時に使う部屋です。

カンボジアの様に、一々ホテルに出向かなくても、店の一室で出来るのです。


私は、Vip Roomを良く利用しました。

気に入った女の子がいると、直ぐに誘います。

こんな女性狂いの人生を送るとは、日本に居る時には、とても想像出来ませんでした。

女性への料金は幾らだったか、ハッキリは覚えてませんが、多分5千円、6千円だったと思います。


多少の好きモンであった私が、フィリピンでは、毎日の様に遊びに出掛けて、女性とイチャイチャする様になったのは、やはりフィリピンの風土に影響されたと思います。知らず知らずのうちに、嵌まって行ったのでしょうね。